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2008年11月13日

早咲きの花

http://%25E6%2597%25A9%25E5%2592%25B2%25E3%2581%258D%25E3%2581%25AE%25E8%258A%25B1.jpg◎江別市民会館ホールで一日限り昼夜2回上映された豊橋市制100周年を記念映画「早咲きの花」原作・宗田理。監督・菅原浩志を鑑賞して来ました。
◎遠からず失明するとを医者 から宣告されたシュナイダー植松三奈子<浅丘ルリ子>は、海外でピンホールカメラマンとして活躍
◎映画冒頭で、三奈子は光を失う前に、自分が幼少時代を過ごした故郷の風景をピンホールカメラに収めようと、豊橋に帰ります。
◎戦時中、小学生の兄真次やその友人たちと過ごした、輝いていた時間を回想する三奈子。
◎「豊橋は何もない所と言われます」と言う三奈子が、豊橋で偶然知り合った現代の高校生に「昔はもっと何もなく、でもとても豊かだった」と言うシーンを交え、食べ物も着る物もろくにない戦時中、人の心だけは豊かだった、思いを切切と語ります。hayazaki.jpg◎きらきら輝いていた子供時代 、東京からの転校生のに荒っぽい地元悪童たちから仲間入りの儀式は、河原での石投げ。畑でのスイカ泥棒でした。
◎映画では、物が豊かになりすぎて、人の手を借りずとも生きていける時代と対比させ、自分の中に閉じこもり他人の干渉を嫌い、自己中心的な自由の名のもとに他人を傷つけて平気な昨今の風潮へのメッセージ隠し味になっています。
◎つい半世紀前の頃、一人では生きていけない厳しい時代背景の中で生きるために、家族はもちろん友人や周囲と力を合わせ、必死で毎日を送り、他人の痛みを自分の痛みとし、自分が泣いている時、一緒に泣いてくれる人は押しなべて食べ物、着る物に不自由しても、気持ちはとても豊かだったのかもしれません。
◎戦争といういつの世にあっても残酷な結末を提示すると同時に、戦争の悲惨さよりも、本当の意味の豊かさを次代に手渡すということを伝えたかった映画でした。
今年3月~4月と相次いで失った30歳の息子、94歳の母の死を体験した私は、人間失うことで初めて大切なもののありがたさを知るという言葉が脳裏から離れません。

◆会場に出かけたらUHBの山田英俊君が映画上映会の司会進行として菅原監督インタビュでした
既報<早咲きの花>公開にあたり監督の高校時代の友人が中心になり動いてくれたと聴いており、ほかならぬ映画大好きなアナウンサー(シネマル会>と交流深い横田にとって監督と山田君が<札幌啓成高校> の放送部の同志だと知り親しみを増す一こまでした。

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