百人一首の世界 アーカイブ

2013年11月13日

ほっかいどうの短歌100首その6

新婚当初の5年間函館で横田は過ごしました。山の手に高名なハリスと教会がありました。教会=修道院の連想をして「山の手の町に日の暮れ鳴りひびくキリストの鐘仏教の鐘」ガンガン寺の名を思い出します。仏寺の梵鐘とキリスト教の鐘音がコラボして鳴る光景を武藤善夕が詠んでいます。

2013年9月 4日

かよわい乙女の味方でありたい

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「髪ながき少女とうまれしろ百合に額(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ 」与謝野鉄幹への思いを秘めたまま若くして結核で没。与謝野晶子が情熱の趣き際立つならば、ひたすらつつましく髪長き少女(おとめ)白百合の君と呼ばれた山川登美子。忍の一字を貫いている存在である、いさぎ良い身近な女性に重ねた新百人一首から

2013年7月23日

こんなに面白かった百人一首

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私、早起き会に休まず100回通いますと宣言をし通う実践を成し遂げました。ならば100にまつわる項目へチャレンジするぞという閃きが我が体内にむくむくと湧いて、一首ワールド巡りを始め100首鑑賞終えました。今回の「後鳥羽院」は激動の人生を和歌に捧げ尽くした功労者です。表題に相応しい人物としてこれにて一件落着です。連載進められたのは時折アドバイスを寄せていただく匿名希望の励ましに支えられたのと、中屋敷さんのアドバイスのおかげです。有難うございます。田辺聖子&近・現代「新・百人一首」を学び継続宣言です

2013年7月22日

鎌倉時代のセレブと云われた藤原公経

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幕府とも朝廷ともバランス感覚にすぐれ親しい関係を構築し強大な権力の中枢にいた人物であり永遠に続く栄華を
夢見る事を信じて疑わずそうした権力を背景に豊かな財産を築き吹田に立てた別荘に、はるばる有馬から温泉を運ぶ逸話が残っています。

2013年7月16日

漂泊の歌人西行法師

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花を詠み、月を詠み、人を詠んだ・西行法師が残した一首「願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ」があり諸国行脚の旅に人生の75%以上を費やして後の松尾芭蕉に影響をもたらせた己の最後を予知した一首ワールドの巨星です。時を経た東北大震災の被災地、福島・宮城・岩手・青森と秋田の一部を始め先人たちの歩んできた奈良・讃岐・筑紫・伊勢うんぬんにも足を運んでいる

2013年7月 7日

天真爛漫な魅力ある才女

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一首の世界総集編を愉しんでいます。清少納言の随筆「枕の草紙」は宮廷生活の記録&自然や人物うんぬんを書き残した随筆です。知識にとどまらず手柄話を堂々披歴して要る点で、現代の人気作家・林真理子「野心のすすめ」連想させています。打てば響く才知です

2013年7月 2日

慎み深いインテリ女性の巧みな才女

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漢籍を読みこなす紫式部は、自分を誇示することとは無縁。奥ゆかしく恐ろしく鋭い観察力と洞察力で周囲を観察分析し類まれなる描写力を駆使「源氏物語」「紫式部日記」を世に送り出した才女とは如何にのお手本です。一首にk「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」です。

2013年6月30日

歌も文章も、核となるのは心

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「言葉は単なる記号ではなく、心の働きをあらわすもの」と捉えた「紀貫之」は日本古来から受け継がれる「言霊(ことだま)」という考えを貫き日々、何気なく使っている言葉には、人と人、心と心をつなぐ目に見えない大きな力を信じ率先垂範した平安歌壇のスーパースター「古今集」の編纂者。◆「男もすなる日記といふものを女もしてみむ、とてするなり」女のふりをして貫之が書いた(土佐日記)それまで漢文のみの日記分野に革命もたらす仮名で書かれた日記をもたらせます。

2013年6月29日

世間を騒がす・伊勢物語のモデル「在原業平」

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百二十五段の多くは「昔男ありけり」という言葉で始まる伊勢物語。ヒロイン特定出来る今でいう恋愛ゴシップをネタにして匿名を貫いています。逸話は創作として平安時代におけるロマンに関するうわさ話、お盛んです。

2013年6月27日

美貌や 高慢という逸話に溢れる小野小町

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わが家から車で2分の場所で毎朝開催されている早起き会ルール100日宣言があります。宣言をした場合雨の日も風の日も吹雪の日でも休まず通わなければなりません。考える迄もなく100日と云えば3か月を超えます。かみさんから真冬の時期に、閃いて私100日達成しました。閑話休題。百人一首に出て来る才色兼備の小野小町。深草少将に求愛され小町は「百夜の間、毎日通ってくれればあなたの妻になる」条件を突き付け、少将は雨・風いとわず健気に通い99日目に精根尽きて死んでしまいます。横田通っている西の早起き会において仲間の女性99日目に会社から解雇通告。男性のお一人は99日目に会社倒産でした。生没年不祥~数々の伝説で男の心迷わせた美人伝説謎に満ちています。百人一首の世界まだ続きます

2013年6月24日

悲劇のイメージが強い阿倍仲麻呂

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唐を治めていた世界三大美女の一人、陽気妃を寵愛した玄宗皇帝が始めていた第9次[4]遣唐使に16歳で同行。唐の都・長安に留学した阿倍仲麻呂は50歳の頃に帰国を試み叶わず人生の挫折味わう。大詩人である李白・王維と親交を深め七十二歳まで生きています。同期の留学生には吉備真備が人生の危機に面しその命を救うと同時に自分は異郷の地で望の詩を詠んでいます

2013年6月21日

いろは歌の作者を検証

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和歌の神と云われる柿本人麻呂は「いろは歌」をつくりました。いろはにほへと・ちりぬるおわか・よたれそつねな・らんうえのおく・やまけふこえて・あさきゆめみし・えひもせす。それぞれの分節の文字を続けると「とかくなくしてしす」=「咎(とが)なくて死す。47文字を重複させず、無実の罪で処刑されそうになった自分の身の潔白を世に示したコトを学びました。

2013年6月19日

「百人一首その99~100」に到達しました

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◆99首の作者は、歌会に熱心で新古今和歌集の編纂を藤原定家ら命じている後鳥羽院。高倉天皇の第四皇子で名前は尊成。「人もをし人もうらめしあぢきなく世を思うふゆえにものおもふ身は」解釈は、人間がいとおしくも、恨めしくも思う、つまらない世の中だと思うために、悩んでしまう自分。
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◆100首の作者は,順徳院。後鳥羽天皇の第3皇子。14歳で第84代の天皇に即位。鎌倉幕府打倒の謀議「承久の
乱」に破れ、佐渡へ流され46歳で死去。「百敷きや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり」歌の解釈は古びた宮中の軒から下がっている忍ぶ草を見ながらしのびつくせないほど思い慕われてくるのは、古きよき時代のことだからかもしれない。~和歌にチヤレンジと、思いたち3日坊主覚悟で毎日鑑賞試み完了~

2013年6月18日

「百人一首その98」100に関わる項目遊び心であと二首です

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「風そよぐ奈良の小川の夕ぐれは禊ぞ夏のしるしなりけり」歌人は従二位家隆=藤原家隆。権中納言・藤原光隆の息子で、京都の西、壬生のあたりに住み「壬生二位」と呼ばれる。豆知識をて解釈いまでしょうするならば、ナラの木の葉を揺らし風がそよそよと吹いた小川の夕暮れは、すっかり秋の気配なのだが 六月祓(みなづき払いは、夏の証し

2013年6月17日

100にまつわるキーワード「百人一首その96~97」

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今に通ずる人の思いを知るため「こんなに面白かった百人一首」へ挑戦してみたらどうかと、友人に勧められなんだかんだ鑑賞して来ました◆歌人・入道前太政大臣=藤原公経は内大臣・藤原実宗の子供。「花さそふあらしの庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり」吹き散らす嵐の日の庭は、桜の花びらがまるで雪のように降って、桜の花を誘っているが如しに思える。人生の老いは自分かもしれない。
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◆歌人・権中納言定家=藤原定家は大歌人藤原俊成の子。「有心体」という叙情的な表現スタイルで「小倉百人一首」を選んだ人として知られ「来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」夕なぎの時に焼いている藻塩を松帆の浦に来てくれない人を想いつつ恋い焦がれる自分の身を詠んでいます。

2013年6月16日

「百人一首その94~95」まで到達です

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◆94首「みよし野の山の秋風小夜更けてふるさと寒く衣うつなり」歌人・参議雅経=藤原雅経は蹴鞠の元祖、が詠む吉野の山(奈良)秋風が吹きわたる情景。夜がふけるかつての都は寒々とわびしく、衣を砧で叩く音のみが響く。
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◆95首「 おほけなくうき世の民のおほふかなわが立つ杣に墨染の袖」日本初の歴史論集「愚管抄」を編んだ歌人・前大僧正慈円が詠んだ身の程もわきまえないまま浮世を生きる民たちを私の、墨染めの袖で包みこんでやろう。かなり上目視線を感じます。詠み人の思いを辿り

2013年6月16日

陰謀に明け暮れる不安と苦悩「百人一首その93」

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「 世の中はつねにもがな渚漕ぐ海士の小舟の綱で悲しも 」鎌倉右大臣=源実朝が<世の中はいつも無事平穏であってほしいという願いを込めて詠んだ和歌です。あと7首 鑑賞します。世の中は、このままいつまでも変らないでほしいものです。波乱な歌人は漁夫の小舟の綱手を引く渚をすすむ光景にでも胸を打たれたのでしょう

2013年6月14日

百人一首検証残すところ8首です

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時代を超える古典の名歌「百人一首その92」「わが袖は汐干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」作者・二条院讃岐は歌人として名高い源頼政の娘であり二条天皇に仕えます。歌の解釈=私の心は、世間に知れることなく人目をしのぶ恋のため沖の石かも知れず流す涙は乾くこともないと捉えました。

2013年6月13日

100と言う数字に拘り「百人一首その91」

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歌人 後京極摂政前太政大臣・本名は藤原良経38歳で急死した。「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかも寝む」霜の降る寒い夜に、こおろぎが衣の片袖を自分で敷きつつ鳴いて独り寝る寂しさと、今風に解釈。早熟の天才で千載集に7首

2013年6月13日

百への挑戦!残すところ10「百人一首その90」

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「見せばなや雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色はかはらず」作者・殷富門院大輔は藤原信成の娘。非常にたくさんの歌を詠み「千首大輔」と言われます。歌の理解=波をかぶった松島にある雄島の漁師の袖でさえ、いくら濡れても色は変わらないのに私は涙を流しすぎて血の涙が出て、涙を拭く袖の色が変わってしまうかな!

2013年6月12日

◆6月12日は恋人の日です!

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「玉の緒よ絶えなば絶えぬながらへば忍ぶることの弱りもぞする」新古今時代の代表的な女流歌人・式子内親王=我が命よ絶えてしまうのならばスパッと絶えてしまいたい。恋心を秘め切れなくなるかも知れないのなら生き続ける意味がないと、捉えてみました。藤原定家との悲しい恋物語「百人一首その89」

2013年6月10日

澪標(みおつくし)の如き恋の行方は

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今回の歌人は、家政を司る役目であり生没年は不詳の皇嘉門院別当~太皇太后宮亮~源俊隆の娘で崇徳院皇后仕えた女房。「難波江の葦のかりねの一夜ゆゑみおつくしてや恋わたるべき」今風の解釈なら「一夜(ひとよ)だけの仮寝(かりね)のために難波の入り江の芦を刈った根っこに、身を尽くして生涯をかけ恋いこがれ続けなくてはならないのと、解釈です「百人一首その88」

2013年6月 9日

一首ワールド残すところ13首です

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「村雨の露もまだひぬ真木の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ」 にわか雨が通り過ぎ、その滴が杉や檜の葉の茂りから、まだ乾いていない霧が白く沸き上がっている秋の夕暮れ時を歌人・30代で出家。全国を渡り歩き嵯峨野に住み新古今和歌集の撰者になった寂蓮法師・俗名、藤原定長・藤原俊成の世界鑑賞です。

2013年6月 8日

そうではあるまい。夢だろう「百人一首その86」

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「嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なる我が涙かな」鳥羽院に仕えた武士として知られている人物の西行法師(俗名・佐藤議清)二十三才で出家。東北や四国など全国を旅して和歌を詠んでいます。今風に解釈するならば◆月はわたしに嘆き悲しむ物思いをさせ?本当は恋の悩みなのに、まるで月の仕業であるかのように流れる我が涙の如し。

2013年6月 7日

つれないあなたのことを想って嘆く「百人一首その85」

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「夜もすがらもの思ふころは明けやらてねやのひまさへつれなかりけり」第74番の歌人・源俊頼の息子、大仏で有名な東大寺の坊さん俊恵法師は、和歌を詠むのが上手だと記録に残ります。遠のいて訪ねてくれない恋人を待つ女性の気持ちになり詠み、音読すると歌人の想像力は雨戸の隙間にまで想いを馳せるの豊かさ!

2013年6月 5日

いつか笑って思い出させる事が!「百人一首その84」

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「ながらへばまたこのごろやしのばれむうしと見し世ぞ今は恋しき」和歌を詠むのが上手い藤原清輔は中流貴族。第79番の歌人藤原顕輔の息子。今風に解釈するとこれから先ももし、生きているのなら、今のつらいことを懐かしく思い出すのかも。つらいと思った昔のことが今では懐かしく思うかもしれない。

2013年6月 4日

和歌の道を究めた見本「百人一首その83」

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皇太后大夫俊成(藤原俊成)の歌「世のなかよみちこそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞなくなる」今風に理解するなら、世の中のつらい事を逃れる道はないと、思いつめてはいった山の奥に妻を慕う鹿が寂しく鳴いている。91歳の長寿だった歌人が27歳の時に詠み出家願望にけじめをつけた証しの哀愁歌

2013年6月 4日

堪える恋を歌った代表作!「百人一首その82」

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「思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり」つれない人のことを思い嘆き、まだ命はありながら辛さに絶えきれず流れくる涙が絶えてしまうかと思った。歌人は 道因法師 藤原敦家。80歳を過ぎ出家し比叡山に住む。90歳を過ぎて、耳が遠くなっても歌会に出て講評を熱心に聞く長命な健康の人

2013年6月 2日

有明の月が浮かぶ「百人一首その81」

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「ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有秋の月ぞ残れる」鳴いた方を眺めれば、ホトトギスの姿は見えず、明け方の月が淡く空に残っているばかり。歌人は詩歌管弦に優れた・後徳大寺左大臣=藤原実定。百人一首の撰者、藤原定家の従兄弟。

2013年6月 2日

夫婦関係は男の気持次第かも

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待賢門院堀河の歌「長からむ心も知らず黒髪のみだれて今朝はものをこそ思へ 」は、あなたの心を私にはまだ理解できないまま、私の心は昨夜の寝乱れた黒髪のように乱れ今朝も物思いに悩んでいると解釈しました。「百人一首その80」残すところあと20首です。女房三十六歌仙に選ばれた才女は恋するひとですね

2013年5月31日

月光を愛でる情景「百人一首その79」

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秋風にたなびく雲の絶え間より漏れ出る月の影のさやけき 」秋風に吹かれて横に長くひき流れる雲の切れ目から、澄みきった月の光の洩れてくる美しさを讃える歌人・ 左京大夫顕輔=藤原顕輔。摂関家並みの勢いの「六条藤家」として知られる藤原顕季・あきすえが父

2013年5月29日

将来を誓う恋の激情「百人一首その77」

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「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむと思ふ」岩に堰き止められ急流が、二つに分かれても一つに合流すると同様にまた逢うことができると信じていいいの!

2013年5月29日

親子・兄弟骨肉の争い「百人一首その76」

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法性寺入道前関白太政大臣・藤原忠実「わたの原漕ぎ出てみれば久方の雲居にまがふ沖つ白波」政界トップの自信は威風堂々。雲と見間違えるほど大海原に漕ぎでると沖の白波が立つが如し。今も変わらぬ政権末期にはどろどろが見受けられるなかで

2013年5月28日

いつの世も親馬鹿健在「百人一首その75」

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僧侶達が仏法を説き供養を行う場の講師に歌人藤原基俊は息子の光覚に期待をかけ「契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり」を詠み、よもぎの露の約束を有力者に約束叶えての思いとは裏腹に時だけははかなく過ぎていく

2013年5月27日

祈れども逢わざる恋を詠む「百人一首その74」

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源経信の息子,地源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)「うかりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを」冷淡でつれないあの人へ初瀬の観音様に私を想ってくれるようにとお祈りしたのに初瀬の山おろしはより激しく冷淡になれとは祈らなかったんだが。歌壇の革命児の斬斬な題材と手法に注目です

2013年5月26日

博識多才な儒家に学ぶ「百人一首その73」

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「高砂の尾の上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ」桜の花が高砂の峰にも咲きじっくり見たい気持に呼応して手前の山の霞が立たないで欲しいと受けとめます。歌人は前中納言匡房=大江匡房。八才で史記、漢書を読み、詩をつくったと言われ、赤染衛門の曾孫です。

2013年5月25日

浮気されて泣くのは御免!「百人一首その72」

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「音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ」いたずらに立ち騒ぐ噂に名高い高師の浜の、波の如く浮気者として知られる貴方のお誘いと、ならロクなことにならない。70歳を超える柔道連盟理事が若い女性へセクハラ行為したと認め辞職の記事がでた。兄の紀伊神から転じて紀伊と呼ばれた歌人は、後朱雀天皇の皇女・祐子内親王に女房として仕えます。女流歌人として名高く70歳を超えた時詠んだそうです。連想ゲームしてみました!

2013年5月24日

詩・歌・管弦に通じた才人「百人一首その71」

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「夕されば門田の稲葉おとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹く」歌人・大納言経信は多芸に秀でた藤原公等の再来と言われた才人。凡人・横田、一首の世界少しでもたしなむ思いで音読を試みました。さらさらと音を立てながら藁ぶき小屋にいっぱい稲の葉が積り秋風が吹いている情景が浮かんできます!

2013年5月23日

秋の雰囲気に満ちて寂しい「百人一首その70」

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歌人として尊敬された・良暹法師「寂しさに宿を立ち出て眺むればいづこも同じ秋の夕暮れ」鑑賞で一首も70に到達、残り30首です。胸の内が寂しいまま家を出て見ると、寂しさは、どこもかしこも秋の夕暮れの如くだ。

2013年5月22日

旅の歌人が諸国を旅して「百人一首その69」

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「嵐吹く三室の山のもみじ葉は龍田の川の錦なりけり」山風がはげしく吹き散らす、三室山のもみじ葉を追っかけて竜田川のふもとまで。なななんとも云えぬ錦を織りなした美しい光景に見惚れると解釈です。能因法師は中古三十六歌仙の一人であり平安時代の歌人。歌人の世界に出かけたくなります

2013年5月21日

生きていることの辛さを歌う「百人一首その68」

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「心にもあらで浮世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな」我が心の思いから逸脱し心ならずもはかない現世の生きながらえていれば夜更けの月でさえ恋しく思い出されるに違いない。作者・三条院は 冷泉天皇の第2皇子・居貞(いやさだ)親王のこと。病弱ゆえに在位6年で次の天皇に位を譲り、翌年に死去。藤原道長が前の天皇の一条院と自分の娘・彰子との間にできた皇子を即位させようと、退位をせまり歌そのものの生涯は苦難の連続

2013年5月20日

春の夜の夢のような、短い手枕「百人一首その67」

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「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたたむ名こそ惜しけれ」四代の天皇出使を求められた周防内侍(春の夜)(夢)(手枕)の歌を噛みしめました。きわどい挑発<眠りを誘い枕がほしいと呟く。枕をどうぞと手が伸びる。おやと、思いつつ甲斐なく=かひなく>艶めかしいと呟いて眠気に襲われ床についた、これは横田の真実です(笑)

2013年5月18日

健気な山桜に己の心を重ねて「百人一首その66」

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「もろともにあはれと思へ山ざくら花よりほかに知る人もなし」愛しく私がお前を思うようにこの山奥で桜の花の他に知りあいないゆえに山桜よ愛しいと思って欲しい。作者・前大僧正行尊は敦明親王の孫であり参議従二位源基平の息子。12歳で出家し密教を学び後に大峰や熊野などで厳しい修行を行い歴代の天皇の病気を祈祷で治し「験力無双」と誉めそやされ円城寺の大僧正として亡くなる81歳まで歌人として名声を得ています。
 

2013年5月18日

美しい男女のロマンス「百人一首その65」

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「うらみわび  ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなむ 名こそをしけれ 」加齢重ねてますます色濃い才女・相模。つれない人を恨み嘆いて涙が乾くひまもないほど。亭主と別れいよいよ本領を発揮し憂き名でこの世を去り私が惜しまれるのであろうか。

2013年5月17日

百人一首その65


「うらみわび  ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなむ 名こそをしけれ 」

2013年5月17日

源氏物語り宇治十条に連なる「百人一首その64」

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「朝ぼらけ宇治の川霧絶えだえにあらはれ渡る瀬々の網代木(あじしろ)」権中納言佐頼の歌は宇治川に夜がほのぼのと明けとぎれとぎれに川霧が晴れていく光景を描写し、あの瀬この瀬の魚とり用のくいのおもしろさ見つめています。本名・藤原定頼。職名・権中納言定頼は、55首・藤原公任の息子。

2013年5月16日

もう2度と逢えない無念な恋の末呂「百人一首その63」

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「今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな」祖父は関白道隆。父は右大臣伊周を持つ歌人・左京大夫道雅を直訳するならば<今となってあなたへの想い、あきらめてしまうことだけを、人づてではなく直接逢って言う方法がほしい>なのかな!

2013年5月14日

随筆(枕草子)の歌人「百人一首その62」

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「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ 」清少納言の歌です。夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、この逢坂の関は決して許さない。

2013年5月13日

宮廷の人気者は、やっかみもあり「百人一首その60」

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「大江山いくのの道の遠ければまだ踏みも見ず天の橋立」歌人・小式部内侍の母は恋多き泉式部。大江山を越え、生野を通る丹後への道は遠くて、天橋立の地を踏んだこともなく、母からの手紙も見てはいない。(踏み)と(文)。(行く)と(生野)を掛けた手法活用し根も葉もない母親が代作嫌疑を打ち消す才女の面目

2013年5月11日

約束を破る男性への恨みやんわり「百人一首その59」

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妻・母・歌詠みとしても才人、赤染衛門(あかぞめえもん)の一首「やすはらで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな」<ためらわず貴方が来ないとわかっていれば寝てしまったのに沈もうとする月を待ち続けているうちに見てしまった>と捉えました。

2013年5月10日

猪名の笹原にそよそよ鳴る風が吹く「百人一首その58」

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「有馬山ゐなのささはら風吹けばいでそよ人を忘れやはする」有馬山近く。私があなたのことを忘れることがありません!忘れるのはあなたであり、歌の作者・大弐三位は母である紫式部の才気を譲り受けたと云われる才女。

2013年5月 9日

久しぶりに再会した幼なじを詠んだ「百人一首その57」

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「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな」作者は藤原為時という中流貴族の娘で『源氏物語』の主人公の1人である「紫の上」から紫式部と呼ばれた宮廷女官。藤原宣孝と結婚し賢子と名付けた娘をもうけ夫とは死別。解釈は<久しぶりに会えた方が雲に隠れてしまう夜更けの月のように、あっという間に帰ってしまった。王朝を舞台にし千年の月日を経て輝き続ける古典文学のエキス今に通じます

2013年5月 9日

いじらしく官能的でもある「百人一首その56」

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「あらざらむこの世のほかの思ひでに今ひとたびの逢ふこともかな」病気のため私は間もなく死んでしまうけれど,あのでも想い出として今一度貴方逢たい。作者の和泉式部は恋を楽しんで何が悪いのと言える平安時代には珍しい魔性の女です。時の最高権力者・藤原道長に「浮かれ女と」評されています。

2013年5月 7日

名作は語り継がれ、歌い継がれる「百人一首その55」

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「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」学問芸術に優れ、和歌、漢詩、管絃の三舟の才を称えられた大納言公任は関白 藤原頼忠の子ども、藤原公任。水の流れが絶え長い月日が経過しても昔日の見事な風景が感じられる和歌です。

2013年5月 7日

男の愛がとぎれるか!?「百人一首その54」

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「忘れじの行末まではかたければ今日を限りの命ともがな」イケメンなエリート藤原道隆に愛された才女の高階貴子は道隆が君のことを忘れないと云うけれどいつ心変りされるか不安でたまりまらず、愛されて、幸せに包まれている今のうちに死んでしまいたいと思う女こころの結末はめでたく貴子は道隆と結婚。授かった長男の伊周が「儀同三司」という位に就いて儀同三司の母と呼ばれ清少納言が仕えた娘・中宮定子という華麗な人生です

2013年5月 6日

嫉妬と屈折した心「百人一首その53」

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「嘆きつつ独りゐる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る」作者・右大将道綱の母は「蜻蛉日記」の作者。貴方は悲しみと失望に押しつぶされている私の心をちっとも理解してくれていない・・・歌の解釈してみました。とり頭と揶揄され散らかし放題の離し(ぱなし)だものねお父さん。浮気とは異なるけれど整理整頓に疎い私、かみさんから教育的指導受ける回数減らさなければとひらめいた歌に脱帽

2013年5月 5日

天然痘により23歳で卒去した歌人の「百人一首その52」

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「明けぬればくるるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな」気が付けばあたりが明るい朝、君に逢えるとわかっていても別れが切ない夜明けと、平安中期三十六歌仙の一人・藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)。当時、貴族たちの恋愛は、男が女の元に通うのが通例で、男は家に帰り「後朝(きぬぎぬ。男女が共寝をした翌朝)の歌」贈ったとの事です

2013年5月 4日

あなたを恋い慕う気持ち「百人一首その51」

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「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじなもゆる思ひを」一首も数えて見れば折り返しから一歩前進です。今回の作者・藤原実方朝臣は逸話や伝説が多く、うたを分析すると張り巡らされた掛け言葉や縁に満ちあふれて(かくとだに=こうだとするなら)(もゆる思ひ)のひ=火)(さしも草、もぐさ<じわじわ燃える>=<燃える恋>に重なります

2013年5月 3日

恋が叶いながら二十一歳で逝った「百人一首その50」

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美青年・藤原義孝「君がため惜しからざりし命さえ長くもがなと思ひけるかな」作者は美青年の誉れ高く命を捨てても良い気持が、一端叶ってしまい一転にして長生きをしてあなたの傍から離れがたいストレート感覚彷彿させます。君がため惜しからざりし命さえ長くもがなと思ひけるかな。

2013年5月 2日

和歌の火種を求めて「百人一首その49」

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◆「御垣守衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ」歌人は伊勢神宮責任者の家柄であり大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)自身も祭主を務めた。望郷の思いで篝火を眺めるいる様子が浮かぶ

2013年4月30日

生み出す波のリズム「百人一首その48」

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「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけてものを思ふころかな」風があまりにも激しいので、岩にうちつける波が自ら砕け散ってしまう鎌倉幕府を開いた源頼朝に代表される清和源氏の家筋になる流浪の歌人・源重之の作品。心も砕けるが如く思い悩む様子捉えています!

2013年4月30日

季節は巡り「百人一首その47」

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「八重むぐらしげれる宿のさびしきに人こそ見えぬ秋は来にけり」一首シリーズの14番目「陸奥のしのぶもぢずり 誰故に乱れ初めにしわれならなくに」河原左大臣(本名・源融みなもとのとおる)造営した伝説の豪邸・河原院が荒れ果てた様を恵慶法師が歌い、作品を読み、私は「驕る平家は久しからず」と呟きでした

2013年4月29日

この先どうなるか「百人一首その46」

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「由良の門をわたる舟人かぢをたえ行方も知らぬ恋の道かな」NHK朝のドラマ作者は宮藤官九郎(クドカン)と呼ばれ斬新さが売りの異端児かんかく。今回の歌における曾禰好忠も変わり者でいながら人気に溢れています。あてどもない恋の行方を櫂を無くした舟人に重ねたあたりが際立ち出世街道からは落ちこぼれとの事です
 

2013年4月28日

恋に生きてこそ「百人一首その45」

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「哀れともいふべきひとはおもほえで身のいたづらになりぬべきかな」謙徳公<藤原伊尹>これただ。男性の恋心を読み終えて。平安時代における男女の価値観「を知るがかり

2013年4月27日

自由奔放「百人一首その44」

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「逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし」中納言朝忠は長身肥満で今ならばメタボリック症候群と言えます。歌の優劣を競う「歌合」で7戦して6勝1負の実力者。つれないあなたのことも、我が身の不幸も、いっそあなたに全く会えなくなってしまえば、恨みがましく思わないですむのにです。ともあれこの時代は外見よりも歌のうまさが男の器量!?

2013年4月26日

満月に空を仰いで「百人一首その43」

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◆「逢い見ての後の心にくらぶれば昔はものを思わざりけり」作者・権中納言敦忠は命短い家系に生まれた貴公子と云われ今ならイケメン(美男子)の呼び声高い在原業平の孫。一夜を過ごしたあなたとの思いに比べれば会うまでの道筋など何ものでもなかった・・・。溜息出て来そうな切なく色めいた恋ですね

2013年4月25日

「百人一首その42」声無きに聴き形無きに視る

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「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは」何気なく日本の文藝探索を<声無きに聴き形無きに視る>感覚で楽しみ即興で和歌を詠むプロ、清原元輔の作品通じ二人の愛を「末の松山」に誓うが如く変らないで欲しいと願う男の未練覚えた解釈抱きました

2013年4月24日

百人一首その41」奥さんを大切に

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「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思いそめしか」壬生忠見。昨日掲げた「忍ぶれど色に出にけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで」平兼盛。紅白歌合戦感覚で捉えるならば忠見&兼盛。<歌合>の席上で当時は忠見に軍配あげる人が多く、後に兼盛 贔屓が多いとの記載みつけました。誰にも知られない様に恋をする思いを持ちながら、お父さん今◎◎さん好きでしょう。かみさんの声は手厳しくも当っています。

2013年4月22日

「百人一首その40」人生を狂わす!?

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「忍ぶれど色に出にけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで」4月23日は子供読書の日です。平兼盛の一首は、恋心を誰にも知られないように隠していたはずなのが、恋に悩んでいると見透かされてしまった。歌人が「左」「右」それぞれに分かれて同じテーマで歌を詠みその優劣を競いあう(歌合)明日取り上げる「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」壬生忠見(みぶのただみ)との勝負。どちらに決着なのかお楽しみに。

2013年4月22日

東京靖国神社春季例大祭」百人一首その39

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「浅芽生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどが人の恋しさ」春と秋行われる東京靖国神社例大祭 。毎日一首学び始めて39日目です。思いをおさえることができない。こんなにあなたが恋しいのにと解釈しました。飛躍しすぎかもしれませんが靖国神社への思いも堂々では無い奥ゆかしさを覚えます。作者・参議等はマイナーな存在だったらしく藤原定家の選歌でスポット当った存在です。夏の参議院選挙です!

2013年4月20日

百人一首その37「郵政記念日」

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「白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける」秋の野というものは白露に風が吹き抜ける感覚を抱きます。作者の文屋朝康は藤原定家から視覚描写の鋭さでお気に入りだったとのことです。紐で押えない玉が散りこぼれているという表現まさにですね。謎の人物に感心でもあります

2013年4月19日

百人一首その36「トークの日」

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「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ」清少納言の曽祖父。清原元輔の祖父・一首へ登場するふたりとともに名を連ねる清原深養父の歌です。札幌はこれから開花迎えますが、まだ宵のくちだと思う間もなく夏の夜は明けて、沈む暇もない月は一体何処雲の合間に隠れてしまうのかと解釈しました。琴の名手の記録に相応しい歌です!

2013年4月18日

百人一首その35 {発明の日」「良い歯の日」

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「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける 」土佐日記の作者である紀貫之は、哀愁満ちあふれる歌の名人です。奈良の都に梅の花が美しく昔と変わらずに香り咲き迎えてくれるのですがあなたの気持は如何ですか。あれから40年!お父さんと呼ばれ何と呼応!女房いわくただ呼んだだけ。会話もなく静寂の空気漂い安否確認だという笑い話かな?札幌の花だよりはまだ先です。梅と桜とこぶしも同時に開花します。かみさんともないわが家から歩いて2分の発寒公園にでかけます

2013年4月17日

百人一首その34

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「誰をかも知るひとにせむ高砂の松も昔の友ならなくに」昔からの親友では無かったかれど古希を迎えた横田の心境はこれから先、素敵な出会いを経て長年からの友人にしたいと、思う笑顔の素敵なまだ10代の女性歌う姿勢に惹かれました。紀貫之とも歌才を競いあったと云われている藤原興風(ふじわらのおきかぜ)の一首です。長寿世代になり嬉しい反面、老いの孤独を捉えていると解釈をものともせずの心です。

2013年4月16日

百人一首その33

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「久方の光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらむ」日本列島南から北へ桜前線の知らせがある中で我が北海道は黄金週間まで待つのみです。歌のこころは、長閑な春の光の中で桜の花は何故急いで散ってしまうのか・と解釈です。作者は紀貫之の従兄弟になる不遇な身を<花咲かぬ木>と嘆いた紀友則(天皇の行動を記録に留める内規という要職に就いています

2013年4月15日

百人一首その32

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「山がはに風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり」今風に詠むなら<しがらみという棚を山を流れる川に掛けて留まった光景に紅葉が美しい>と解釈。作者の春道列樹(つらき)は活躍もなく歌集もなくいきなりメジャーになった人との事です。マイナーからメジャーになるケースは現代でもまま見受けられますね。

2013年4月14日

百人一首その31

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「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」吉野の里に降った雪は有明のほのぼのと明けてゆく様子がお月さんの明るさと見間違う・・と解釈です。作者・坂上是則は歌のみならず蹴鞠も得意な田村麻呂のひ孫です。

2013年4月14日

百人一首その30

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「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」空にかかって別れ思わせ冷やかな感じする明け方の月。それを見つめる私には暁ほどつらいのだけれど、と解釈した恋の歌です。作者は醍醐天皇に気に入れら長寿を全うした歌人・壬生忠岑 。

2013年4月12日

百人一首その29

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「心あてに折らばや折らむ初霜のをきまどはせる白菊の花」一面に落ちた初霜ゆえに見分けがつかないけれど、これと定めて折ってみようか、見分けにくい白菊の花と解釈した、作者・河内躬恒。身分は低いながら紀貫之と並ぶと云われた歌人のスターです

2013年4月11日

百人一首その28

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「山里は冬ぞさびしさ まさりける人目も草も かれぬと思へば」人が訪問することもなく草も枯れ果て山里の冬に寂しさが増している、今の言葉で解釈してみました。作者は源宗之朝臣。宇多天皇に昇進出来ない自分の恨みをぶっつけた男として名を留めています。

2013年4月10日

百人一首その27

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「みかの原わきて流るるいづみ川いつ見きとてか恋しかるらむ」いづみ川に流れるみかの原からわきでる水はいつみたわけでもないけれど何故か恋する人の如く思いがつのる。と捉えました。作者の中納言兼輔は三十六歌仙の一人であり紫式部のお爺さん。相手を見ないまでも恋心が浮かぶ。見ず知らずの人とお見合いさせられ結婚しそこから情愛が育つたという明治生まれの祖父母から聞いた話を私、重ねました

2013年4月 9日

百人一首その26

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「小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ」今風に解釈するならば<おまえさん(紅葉)に心があるならば私が行幸まで花を散らさないでいて欲しい>作者は美・知・才すべて整いました 貞信公(ていしんこう)藤原忠平の死後に呼ばれた徳を讃えた名前、貴公子ならではですね

2013年4月 9日

百人一首のおさらい

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1 番歌◆天智天皇 「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ あきのたのかりほのいほのとまをあらみ わかころもて
はつゆにぬれつつ 」
2 番歌◆持統天皇 「春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山 はるすきてなつきにけらししろたへの ころもほすてふあまの
かくやま 」
3 番歌◆柿本人麻呂 「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む あしひきのやまとりのをのしたりをの なかな
かしよをひとりかもねむ 」
4 番歌◆山辺赤人「田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ たこのうらにうちいててみれはしろたへの ふしの
たかねにゆきはふりつつ 」
5 番歌◆猿丸大夫 「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき おくやまにもみちふみわけなくしかの こゑきくときそあきは
かなしき 」
◎4月9日時点で26の和歌とりあげてきました。残り74首です。5句づつおさらいを兼ねて脳裏に焼き付けに挑戦です。

2013年4月 8日

百人一首その25

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「名にしおはば逢坂山のさねかづら人にしられでくるよしもがな」現代ふうな解釈試みるならば<さねかづらのつるたぐるよう逢って寝ると云われる逢坂山へ人知れず活ける術があればいいのに>作者・三条右大臣は芸術をこよなく好む平安花壇屈指の実力者。掛け言葉「逢う」と「逢坂」「さねかづら」と(寝る」「来る」と「手操る」凝った言葉の使い方でありながら意味深さをイメージ出来ます。

2013年4月 7日

百人一首その24

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「このたびは幣もとりあえず手向山 紅葉の錦 神のまにまに」現代風に解釈すると「急ぎ旅で出てきたので供え物の用意怠ってしまいました。山の紅葉を神さま受け取っていただけませんか」作者・管家=菅原道真の事で学問の神と言われる

2013年4月 4日

百人一首その22

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「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふむ」作者は文屋康秀(ぶんやのやすひで)現代感覚で紐解くと<秋の草木を吹いているすぐそばからしおれる様子を眺めるならば、山から届く風を「嵐」と書いて「荒らし」と呼ぶ事も納得。◆作者は身分低いまま生涯を終えているけれど交友歴は派手で在原業平と交友を深め、後に小野小町を誘ったり今で言うセレブ交際の名人だとの記録がある

2013年4月 3日

百人一首その21

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「今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出るかな」現代語解釈すると< あなたが今すぐに参りますとの言葉を信じひたすら眠らずに9月の夜長を待ってたばかりに、夜明けを告げる有明の月が出てしまった>◆作者は、素性法師の俗名・良岑玄利。百人一首12番に歌が残る僧正遍昭(良岑宗貞の子。清和天皇の時代に左近将監まで昇進。父親の命令で出家して雲林院別当に任ぜられ、大和国石上=奈良県天理市、良因院の住持となり三十六歌仙の一人で、宇多天皇の時代に上皇の御幸で歌を詠むなど活躍
 

2013年4月 2日

百人一首その20

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「侘びぬれば今はただ同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思う」現代風に解釈すると<辛いことなどものともせずに身を尽くす覚悟をもってあなたに逢いにいきたい>作者は13首の陽成院の子 元良親王。平安時代に天皇の妻と素行不良が白日のもとに照らされたスキャンダル感覚もたらず、今も変わらぬ大不倫の話題に思えます

2013年4月 1日

百人一首その19

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「難波潟 短き葦の ふしのまも あはでこの世を すぐしてよとや」現代語の訳<(なにはがたにはえている葦と葦の短い感覚でさえあえずにこの世を過ごしなさいといけというのかしら>作者の伊勢は玉の腰に乗り遅れますが、もっと上級の男性を射止めた才女です。伊勢はかなり恋多き女性であり宇多天皇・藤原時平・平の貞文 と浮名を流しこの詩を誰を思う一首か定かでありません

2013年3月31日

百人一首その18

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「住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通い路 人めよくらむ」現代感覚ならば<「寄る」という言葉の如く、住之江の岸に寄せる波に乗り夜であろうとも、人目を避けてでもあなたは私のもとへ夢の中であろうとも出てきてくれないのでしょうか>作者・藤原敏行朝臣。陸奥出羽(むつでわ)の按察使(あぜち=巡察官)富士麿(ふじまろ)の息子。書が上手く、「小野道風は空海と並ぶ書家と褒めた」という伝説があり、奥さんは在原業平の義理の妹。

2013年3月30日

百人一首その17

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「ちはやぶる神代も聞かず龍田川から紅に水くくるとは」今風に解釈すると<神代の昔、様々な不思議なことが起こるなかで龍田川の一面に、真っ赤な紅色をして紅葉が浮び川面の水をしぼり染めにしているなんて、ことは聞いたことがない>作者・在原業平は、平城天皇の皇子・阿保親王の息子。百人一首の16番に歌があり中納言行平の異母弟。六歌仙の一人。伊勢物語の主人公とされ、小野小町の如く「伝説の美男で風流才子」といわれています

2013年3月28日

百人一首その16

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「立ち別れいなばの山の峰におふる まつとし聞かば今帰り来む」現代風に解釈<因幡の山に生えている「松」の元へあなたと別れ慌しく向うのですが「待つ」という言葉を聞いたならば、すぐに帰るという事なのでしょうか?>◎作者・在原 行平は平城天皇の皇子阿保親王の次男。母は伊都内親王。異母兄弟・在原業平の兄。在原業平と異なり地位的に成功。在原一門の学問所として奨学院を設立しています

2013年3月28日

百人一首その15

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「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手雪は降りつつ」今風の解釈ならば<春の野に出てあなたのために、若菜を摘んでいる私の袖に降って降って雪をおいていきます>配列】作者は仁明天皇の皇子。宇多天皇の父。成人後常には陸太守・中務卿・大宰帥・などの重職を歴任。藤原基経を実質的な関白に任じ、文事を好み古風を復活させています。

2013年3月27日

百人一首その14

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「みちのくの しのぶもぢずり たれ故に 乱れそめにし われならなくに」<誰のせいでありゃしないみんなあなたが悪いのよという歌謡曲をまず連想しました>陸奥の信夫で産する「しのぶもじずり」の模様の如く、私の心は忍ぶ思いに乱れはじめたのは、私のせいではありません。あなたのせいですよ。現代感覚の解釈となります。◎作者源 融(みなもとのとおる)弘仁十四年生まれ。加茂川のほとりに住み「河原左大臣と呼称された嵯峨天皇の第十二皇子。母は正四位下大原全子。源朝臣姓を与えられ臣籍に下る。用意周到で賢い正確で「陽成天皇」が退位の折、皇位を願い藤原基経に押しとどめられた。藤原氏との政治的な確執は明らかな日本史を学ぶ思いします。この時代では長寿であり、72歳にて没。死後に正一位を追贈。

2013年3月25日

百人一首その13

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「筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる」今風に解釈すると<最初は細々とした流れから次第に水かさを増す筑波のいただきへ流れ落ちてくる男女川の深い淵となる如く恋心も次第につのって愛の深まりを覚える> 作者の陽成院(ようぜいいん)は清和天皇の皇子で、第57代天皇に10歳で即位。17歳で病のた譲位。勅撰集にはこの歌のみが残されている

2013年3月24日

百人一首その12

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「 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」現代語の訳<天女たちが帰る雲の中の通り道の天を吹く風よ、乙女たちの美しい舞姿をもうしばらく地上に留めておきたいので吹き閉ざして欲しい>作者・僧正遍照(昭)(そうじょうへんじょう俗名を良岑宗貞といい、桓武天皇の皇孫。大納言安世(やすよ)の子供~蔵人頭と、して仁明天皇に仕えています。六歌仙の一人で出家する前は「深草少将」と呼ばれ、小野小町に恋する男として「大和物語」に登場。仁明天皇が急逝した後、出家して叡山に入り、高僧として活躍。今風ならばイケメンかな!

2013年3月23日

百人一首その10

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「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」現代風に解釈するならば<京から出て行くあの人も帰るあの人も、知り合いも知らない他人も、皆ここでこれで別れ、そしてここで出会う逢坂の関なのだ>作者・蝉丸ははっきりしたことは分からず、宇多天皇の第八皇子・敦実親王の雑色(雑務をしていた下役人)として今昔物語にでており盲目の琵琶法師だった一説があり能に「蝉丸」という謡曲があります。

2013年3月22日

百人一首その9

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◆「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」< 桜の花はむなしく色あせて春の長雨が降りつづくが如く、自分の容姿はすっかり衰る。だがしかし恋の物思いにふける切なさよ!小野小町 生没年不詳。六歌仙唯一の女流歌人。参議篁の孫、小野良実常澄。娘などの説もあり仁明・文徳天皇の後宮に仕えていたとされる。

2013年3月22日

百人一首その8

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「わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり 」都の東南にある私の粗末な家で、心清くのどかに暮らしていると、この世を私が辛いと思って宇治山へ逃れ住んでいるのだと人の口では言っている!?作者の喜撰法師(きせんほうし)嵯峨天皇の弘仁年間に活躍した人物。山城国乙訓郡に住み、出家して醍醐山に入り、そののち宇治山に住む。六歌仙のひとりである。うじとは、「憂しつらい」に通じ宇治山を射す。奥行きを覚える歌です

2013年3月21日

百人一首その7

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「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出し月かも」天を仰いではるか遠くを眺める。月が昇っている。奈良の春日の三笠山に昇ったあの月と同じ月であり19歳の頃に作者・安倍仲麿は遣唐使として中国の唐へ渡った留学生の一人として、時の玄宗皇帝に気に入られ、中国名「朝衡」として50年以上仕え、一度帰国を許されたが、途中で船が難破し引き返し、結局帰れぬままの心情が歌に詠まれていると解釈しました。

2013年3月20日

王朝時代の詩歌に巨大な足跡を・・・

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「かささぎの渡せる橋におく霜の白さを見れば夜ぞ更けにける」百人一首鑑賞シリーズ六番目は、中納言家持の歌<牽牛と織姫を逢わせるために七夕の日、かささぎが翼を連ねて天の川に渡したという橋の様子、ちらばる霜のようにさえざえとした星の群れの白さを見ていると夜もふけたのだなあと感ずる(今風の解釈です)作者の中納言家持は三十六歌仙の一人・大伴旅人の息子。早く父親に死に別れ、叔母の坂上郎女(さかのうえのいらつめ)に育てられ万葉集に一番多い473首の歌が収録。

2013年3月19日

百人一首その五番

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◆「人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分け雌鹿が恋しいと鳴く雄の鹿の声を聞くと秋は悲しいと感じられる。猿丸太夫の歌「奥山に紅葉踏み分け泣く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」いつ生まれ、いつ亡くなったかも不明 平安初期の歌人は36歌仙の一人としても知られながら伝承上の人物として歌の有名度に比べ、生涯の詳しい実像は明らかではありません。

2013年3月17日

人麻呂と並び称される「歌聖」赤人

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「田子の浦にうちでてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」山部赤人の現代解釈は<田子の浦まではるばる来ると、富士山の高いところは真っ白になって今でも雪は降り続いている>山部 赤人は、奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。

2013年3月15日

電脳縁の友からリクエスト入りました。恐縮して感謝です

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◆「ながらへばまたこのごろやしのばれむうしと見し世ぞ今は恋しき」百人一首84番目、藤原清輔朝臣の歌です
<これから先、生きながらえたなら今のつらさが懐かしく思い出される。この世をつらいと思った昔が今は恋しく感じられる>と、解釈してみました。

2013年3月15日

神秘の山の情景がほら見える感覚

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「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」春は過ぎ去り、夏になれば天の香久山に真っ白な神のを乾かす。天智天皇の皇女、天武天皇の皇后 持統天皇 じとうてんのうの一首

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