石川啄木と函館 アーカイブ

2013年6月 3日

歌会を通じて函館の人となる啄木

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◆明治40年21歳のとき岩手県から函館に移住した、漂泊の詩人・石川啄木は函館大火で札幌への転居を余儀なくされる9月まで函館に滞在函館にちなんだ歌や文を数多く遺しています。「乳足りて泣く子は黙すことごとに足らぬは我は叛逆にゆく」もその中の一首

2013年5月31日

もの悲しげ寂しい「百人一首その78」

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源兼昌の歌「淡路島かよふ千鳥の泣く声にいくよ目覚めぬ須磨の関守」須磨の番人は幾夜も淡路島から冬の夜に渡ってくる千鳥の鳴き声で目を覚まさせられた中年男子の悲哀を覚えます

2013年5月30日

啄木と函館の歌その2

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「いのちなき砂のかなしさよさらさらと 「しっとりとなみだを吸へる砂の玉涙は重きものにしあるかな」

2013年5月27日

「啄木と函館」との関わり案内その1

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愛とは決して後悔しない事のキャッチコピー「ある愛の詩」公開していた今から40年前に私は函館映画劇場に5年間勤務した経緯あります。現在、大阪の豊中に在住する長男は・製薬会社に勤め、二人の孫娘とかみさん4人家族です。手許にご案内の本を書棚から取り出し懐かしい函館の思いに重ねてみる事とします。啄木が函館に到着=明治40年5月5日、沖に停泊した連絡船からの上陸に用いられた鉄道桟橋でした。

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