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2007年4月26日

春秋北海道WEB版・原稿4・26日

 北海道大学・公共政策大学院・法学部の助教授として大阪から赴任した中島岳志の著書「中村屋のボーズ」を読みました。 読むきっかけは西区琴似において「ソクラテスのカフェ」を書店の地下に併設する久住書店店主の勧めです。北海道に縁のある作家や地元出版編集者を招いたトークショーを継続している久住さんは今回のゲストに中島さんを招きました。 大阪生まれ大阪育ちの典型的な庶民感覚の持ち主中島氏は30代に突入したばかりの若き才能に満ち溢れていました。 35歳になる私の長男が現在大阪に拠点をおいて仕事している事もあり、おせっかい精神で中島君に札幌の親父宣言をすると屈託ない笑顔でした。
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本題に入ります。本の主人公「ラース・ビハリー・ボーズ」は、1900年代初期にインドを代表する過激な独立運動の指導者として知られた人物です。 第一次大戦中に日本はイギリスと日英同盟を結んでいました。ボーズはイギリスの植民地としての祖国を独立させるための運動に力を注ぎ時にはテロ活動も辞さず確固たる信念の持ち主の様子が読み始めてまもなく理解できました。 日露戦争勝利で国力を高めていた日本に目をつけたボーズをイギリス本国は、多額の懸賞金をかけ命の危険を察知したボーズは逃亡先に日本を選択します。 武器と資金を集める意味で日本が時の流れにそって一番有利と確信した結果です。右翼の巨頭、頭山満の力を借りて、日英同盟を盾にボーズの引渡しを執拗に求め国外退去命令を日本国政府に迫る政略記述の中に大川周明という国粋主義者の果たした役割が浮かび上がり歴史の教科書感覚を覚えます。 インドを支配するイギリスと、日本のアジア主義を唱える人たちが、国の将来を憂う「同じ穴の狢」である視点で著者は捉え、目的は必ずしも一緒でなくとも米・英との戦争に突入した日本軍部事情と、皮肉にもアジア開放の名を掲げるボーズは共闘せざるを得なくなるあたりが政治の必然性としての教訓をもたらせてくれます。 大東亜戦争勃発ニュースを自宅のラジオで知ったボーズの心にインド独立の夢が叶うとの予感を抱いた記述と、当時、日本のカレーが横須賀基地から広まったイギリス風味味の背景も手伝い、新宿の中村屋に匿われたボーズは、インド風味の本格的なカリーーを作り上げます。 民衆のインドへの関心をひきつける重要な要因としたカリー普及の戦略は、今日にまで伝承されています。昨今において日本の政治姿勢が中国との折衝で息詰まると、話題をインドに転じ、南北朝鮮やロシア問題も含めて大局的に見据える外交姿勢のしたたかでしなやかな姿勢を身につけるべきだとの見解に私も同感です。国際情勢を考察するときに近視眼的に捉えがちな日本の政治風土に風穴を開ける示唆を小気味良く伝えてくれています。 世界中が今、グローバル化の波に流されて何事も金太郎飴状態になりつつあるなかで悠久の地としての中国、インドに人間本来の精神を探そうとする動きがあります。一方において消費文化がインドや中国大地の中においてヨガや太極拳が逆輸入され、両国の中に蔓延しているまぎれもない事実を見逃さない辺りに、私は驚くばかりです。 消費文化に息詰まった人たちが垣間見せる内面の問題意識に繋がる予感を持つ記述に拍手です。大阪在住の時、うっとうしいほど濃すぎる雰囲気を味わい、その緊密な人間関係を琴似地域へ根付かせる。 中村君は、久住書店のオーナーの呼びかけに応じて近く住まいを琴似に移すとの話でした。ソクラテスカフェを開き、地域の人が集い交流を深める構想に及ばずながら私も賛同します。他人を排除するのは簡単で、意見並びに異見を認める度量がこれからますます求められる時代です。 孫文を筆頭に戦前の代表的な右翼思想家の一人大川周明、右翼の拠点としての玄洋社や、黒龍会の実態が本著を理解するポイントです。 ボーズに一番影響を与えた頭山満。朝日新聞の記者(後に冒険作家)となる山中峯太郎。本の中で頻繁に取り上げられる精神的な語彙として、「皇室を敬う、本国を愛し主権を尊重する」要人たちの集う今も有名なカレーの日比谷、松本楼、寿司の久兵衛という場所の記述は、ドキュメントタッチであり、ボーズにとってかけがえない中村屋の相馬愛蔵、相馬黒光、相馬俊子同時代に生きた理解者、大杉榮、伊藤野枝との縁に加え、自然主義・享楽主義・功利主義、五感の欲、馬の視るごとく、犬の聴くごとく、豚の喰らうごとくは、本著「中村屋のボーズ」を分析する要因です。 閑話休題。人生3万日といわれます。一年365日を一年一年過ごして82年で3万日に到達です。人生を半世紀の50歳に置きかえるならば日に換算して18000日祖国を離れてボーズは、50年を日本で過ごし波乱万丈な人生を過ごした記録が「中村屋のボーズ」に凝縮です。 青春、壮年、中年、老年を通じて日本に踏みとどまり帰化して日本人になったボーズが辿った人生模様は決して平坦なものではありえません。 日本よ!何処へ如何とするか?そのボーズの問いに呼応する意味で私は幾たびの危険をかいくぐったインド人の軌跡を検証する著者のサインを貰った表紙の扉を開け再読です。


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