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2007年11月26日

「 銀 幕 遊 び の 流 れ 旅 」 (第48回)

札幌映画<サークル広報紙>「 銀 幕 遊 び の 流 れ 旅 」 (第48回)<2007年最後の原稿を前に・・・>
 多少の照れも加味して、人生の機微が解るようになった64歳の横田は、歳をとると共に涙もろくなりつつあります。札幌映画サークルの会報に掲載される2007年最後のエッセイの原稿を前にしての思いです。
 『銀幕遊びの流れ旅』を読んでいただいている皆さん、映画を観て涙を流すことがありますか。
「味覚に関して子供時代は幅がなく、苦みを味わうことが出来ないけれど、大人世代を迎えると微妙な味がわかって甘い、辛い、しょっぱい、の違いを会得するんだよ」―訳知り友人の言葉です。味覚を人生における喜び・怒り・哀しみ・楽しみというエキスに置き換え、涙もろくなることを恥じない様になってきました・・・つらい、悲しい時のみならず、やさしさ、まごころ、ほのぼのとした事項で涙が出て、決して情緒不安定で無いのですが、泣くということが映画の出来を測るバロメーターに最近なりつつあります。
 嬉しい涙、悔しい涙、勝利の涙。作為的なお涙頂戴と思える事項にさえ、簡単に涙腺が反応して、ちょいとやばいかな、の注意信号ですが、「泣いては駄目だ」と抵抗せずに、ツボにはまって、涙すると心の中に生まれかけたもやもやが解消され気分がスッキリしてきました。
 映画に限らずコミック、小説、エッセイを読んだり、歌を聴いたりして涙するシーンがまぎれもなく増えています。本の原作、挿入歌も含め映画って素晴らしいなあ、と一人つぶやいています。いつ寝ているのかいといわれるほど毎日更新しているブログ日記を読んでいただいている人から問い合わせを受けました。睡眠に関しては、歳のせいで夜中に眼が醒めることが多いというケースに横田は当てはまりません。分眠の名人(迷人)と言われるほど眼を閉じると小一時間のあいだ熟睡し 眼が醒めると、すっきり。身体の芯に眠気が残る事はありません。一時間の分眠を朝に2度。勤務を終えて帰宅して夜の8時から11時までの間に2度実践していると、それが30分の場合でも一日に換算すると真夜中の睡眠時間も合算すると6~7時間はじっくり寝ており七転八倒、結局、眠られず睡眠と格闘することはありません。テレビの深夜番組や手元にいつも置いてある本に眼をやっていると、いつのまにか眠りの世界に没頭なのです。後で見るのでビデオ収録しておいてと女房に頼みながら再録することが無いのも事実であり、常に本能のなすがままにリアルタイムを大切に徹していたら冒頭の涙の数が膨らんできた様に思われます。
 『銀幕遊びの流れ旅』を書くチャンスを頂いた原点は何なのだろうかと、自問自答してみました。大学時代に私は東映大泉撮影所の反対側の西武池袋沿線の東大泉学園の叔父宅に居候していました。当初は日大農獣医学部に通い、教養課程を終えて専門分野を学習する3年時に西武池袋沿線の江古田にある日大芸術学部へ転部し、結果的には大学5年生で卒業。池袋<人世座>、<文芸座>、<銀座並木座>、<渋谷全線座>、<後楽園シネマ>、<京王名画座>云々といった名画座めぐりの日々を思い起こしました。
 映画の灯りの源を心に残して大学を卒業して札幌に戻り、ご縁を得て40年、須貝興行~スガイエンタテインメントとの関わりを北海道新聞夕刊紙面に連載された須貝富安名誉顧問の<私のなかの歴史 レジャー追って半世紀>を検証しながら、2008年に繋げていきたいと思います。★<新・文芸座>★消えた<映画館> 


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