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2009年6月24日

何故夕張は破綻したのか

yubari_hatan2a_082506.jpg夕張は何故<破綻>したのか演題を、講師である津島 慧さんは、昭和63年に北海道開発コンサルタント<現(株)ドーコン>から夕張市に出向された9月~平成4年6月までゆうばり映画際に深く関わり夕張映画祭札幌駐在事務局長、第1回~3回までのゆうばり国際フィァンタステイック映画祭の企画立案及び運営を担当。平成4年6月に(株)ドーコン>退職してからは夕張国際映画祭実行委員会勤務をしながら、故・中田市長の特命を受けて夕張市の都市計画、観光計画、活性化策定に携わり平成15年ゆうばり国際映画祭実行委員会を退任。まさしく夕張市の光と影の部分を熟知された経験を活かし、平成16年7月プランニング・フオー・ザ・ピクチャ設立し、財政破綻で苦しむ地方行政全般の都市計画、観光計画、イベント企画、まちづくり、地域づくりのサポートをされている履歴の持ち主です。40年前に須貝興行へ入社し、株式上場にともないスガイエンタテインメントに社名が、変わり平成21年7月1日、会社はゲオデイノスとして新たなる道を切り開きます。津島さんと横田の縁は4半世紀です。カリスマ中田さんの薫等を得て育った津島さん。40年間須貝富安という魅力あふれる人のもとで学び55期株主総会で常勤監査役を辞したばかりの私は、負の部分に関する津島さんのA級戦犯は〇△、◆★、×▲と実名挙げられている辺りとマスコミへの真実報道欠如への指摘は必ずしも賛成できない気持を抱きました。微笑みつつ、期せずして過去の負から脱皮して市民本位の映画祭を復活させようとする会合に参加できて、来年通産20回目を迎える夕張映画祭・実行委員長・澤田君の情熱にエールを送る覚悟決めました。◆津島さんに破綻検証から一歩踏み出して+思考を模索実践しようとの問いに笑みのこぼれた講師でもあります


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