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2009年4月 4日
マハトマ・ガンジー
◆映画の概要◆
◎1893年、南アフリカにおいて、列車の一等車から肌の色を理由に外に放り出された一人の青年こそ、大英帝国の人種差別政策に激しい怒りを覚えた、モハンダス・K・ガンジーその人です。
インド人商社の顧問弁護士として南アフリカにやってきたガンジーは、インド人移民に呼びかけて、身分証明カードを焼き拾てることを提唱し民族抵抗運動を起こします。
イギリス人牧師のアンドリューズと「ニューヨーク・タイムズ」の記者ウォーカーなど、彼を支援するものも現れます。
“非暴力”を信条として闘うガンジーを中心にインド人労働者たちも立ち上がってアシュラム(共同農園)を建設するに至ります。
◎1919年4月6日を言論、思想、集会の自由を抑圧は続き、第一次大戦後のインドに英国が法律を適用し、ガンジーは全国民の祈りと断食の日に設定。ストライキを呼びかけたガンジーは逮捕されても、差別撤廃を求めたり、祖国インドで反英非服従運動の指揮をとり、断食による抵抗や、英国製品不買運動に加え、英国が独占して製塩事業へ反対する“塩の行進”など、幾度となく当局から逮捕されながらも、マハトマ(偉大なる魂)と呼ばれたガンジーは、インド独立へ向けて闘いを続けます。
国民のイギリスに対する不満は、流血の暴動となって現われ、これを嘆いたガンジーは断食で無言の説得を行ない鎮静させるのですが、イギリスに対する非協力的な態度で逮捕され、 6年の刑で投獄されます。ガンジーに同情的な判事のブルームフィールドもいてガンジー魂は不滅です。
◎1931年、釈放されたガンジーはアーウィン卿と、交渉の結果、ロンドンの円卓会議に出席し、独立は勝ち取れなかったのものの、第二次大戦勃発も手伝い戦争に反対するガンジーは、アガーカーン宮殿に収容され『ライフ』の女性記者バーク=ホワイトがカメラに撮り続けるなどガンジーを無視でず、独立を目前にしたインドの気運大きく進展となります。
◎1947年8月回教徒はヒンズー教徒と袂を分かち、アリ・ジンナー(を指導者としてパキスタンを建国があり、以来国境を中心として両教徒の間で衝突が激化内戦状態になって、これを悲しんだガンジーは、カルカッタで再び断食を行ない、民衆に武器を捨てさせることに成功。
◎1948年1月30日。マハトマ・ガンジーは、デリーで夕べの祈りをしている時、ヒンズー教極右派のヴィナヤク・N・ゴードセーによって暗殺。時にガンジー78歳。葬儀には250万を越える人々が集まり、遺灰は聖なるガンジス川に流されます。
映画を鑑賞しながらメモを取りあらためて映画検証してみました。合掌です。
マハトマ・ガンジーの波瀾に満ちた生涯の映画をNHK・BS放送鑑賞しました。
インド独立運動の指導者“偉大なる魂と、云われるガンジーを祖国インドの大地を愛するが故に、また3億5千万の同胞を愛するが故に、支配者大英帝国の巨大な力に立ち向かっていった生身の姿を描いた作品でした。
★製作・監督>リチャード・アッテンボロー
★エキュゼクティヴ・プロデューサー>マイケル・スタンレー・エヴァンス
★脚本>ジョン・ブライレー
★撮影>ビリー・ウィリアムス&ロニー・テイラー、
★音楽>ラヴィ・シャンカール。
★出演>ベン・キングズレー、キャンディス・バーゲン、エドワード・フォックス、
ジョン・ギールグッド、ロヒニ・ハタンガディ、ロシャン・セス、マーティン・シーン
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