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2008年4月25日

大好きなチャールトンへストンが死んで

9784891151713.jpgいきなりですが中西出版から映画にまつわる本をこの秋刊行する予定です。40年間須貝興行~スガイエンタテインメント勤務している横田の自分史とともにひいきのスター編を加味させてみようと思っており、その予告編としてさっぽろ映画サークル広報紙原稿書いてみました。ご笑納ください◆1952年にセシル・B・デミル監督の『地上最大のショウ』でヘストンは一座の団長を演じて一躍注目を集めた記録とは無縁で、1943年生まれの横田がチャールトンへストンを映画館で見た最初の作品と云うならば莫大な制作費をかけた『十戒』は興行的に大きな成功を収め、モーゼ役を好演し、スターとしての確固たる地位を確立した1956年の格調高い演技力の思い強い大作『十戒』から始まります。アカデミー主演男優賞を獲得した1959年の『ベン・ハー』では『ミケランジェロの彫刻のように美しい』肉体美と精悍なマスクに子供心を刺激した記憶があり1968年『猿の惑星』(SF映画の主演あたりからへストンにはまり、ヨハネやミケランジェロなど歴史上の人物を演じた1961年『エル・シド』(1963年『北京の55日』1965年『偉大な生涯の物語』を欠かさず鑑賞しました。◆(1966年から1971年まではアメリカ俳優協会の会長職に就くなど名実ともに永遠の大スターだと思います。晩年は保守派層の代表と一面の色合い濃くなりドキュメンタリー映画 『ボウリング・フォー・コロンバイン』 監督マイケル・ムーア2002年作品のインタビューを受け、武装する権利擁護の観点から、全米ライフル協会のコロンバイン高校銃乱射事件直後のコロラド州デンバーでの全米ライフル協会会議について質問された時に自身が全米ライフル協会の会長に就任していた立場でインタビューを始めたムーアに対し、ヘストンは上記会議の開催を批判されていることに気づくと立ち上がって退座した骨太感覚に徹しています。◆1960年代にはアメリカにおける公民権運動の旗振り役で人種差別に反対し、マーティン・ルーサー・キング牧師と共にワシントン大行進に参加するというリベラル派として人種差別主義者ではなく、バリー・ゴールドウォーターへの共感から保守主義に傾倒し共和党のシンボルと思われる行動が顕著になり自分がアルツハイマー病であることを2002年8月にカミングアウトして全米ライフル協会会長を辞任。アルツハイマーに苦しみながらも死の天使と恐れられたヨーゼフ・メンゲレを圧倒的な存在感で演じきり好評を得たのも男の生き様として尊敬する所以です。◆パニック映画がブームになると1974年『大地震』『エアポート'75』などに出演し、災難に巻き込まれたタフなヒーローを熱演してそのダンデイぶりに脱帽です。◆12歳の時に両親が離婚していますが、本人は20歳の時に結婚したリディア夫人と自身が亡くなるまでハリウッドスターとして珍しく離婚歴は、なく64年間連れ添う大変堅実な私生活には個人的な敬愛の念を抱き人生のお手本見習わないといけません。アメリカのメディアのみならず世界各地においてトップニュースで2008年4月5日夜半過ぎ、自宅にて夫人に見取られた最後に合掌!


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