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2008年3月21日

兄貴へと副題のついたの励ましの文面を音読しました

19・20に通夜・葬儀を済ませて、横田の弟分を名乗るJ君から届いた文面を音読しています。心に刻みながら2月に失った30歳の息子と3月死への別れを終えたばかり、94歳の母へ親として息子として合掌です。皆様・ありがとうございます。

             「 生命の玄妙」

◆死ぬことによって生の終わりと考えるから、

これに人生一切の成果がかかってくるように見える。

死は、実は生の終焉ではない。

◆生の本質とは・・・

生きているということは、形をとるということであり、

成長すること、変化することであり、現象していることである。

◆その反面、無形であり、常住であり、不変なる一面があって初めて反面の生がある。

生は大海の波に当たる、空中の風に相当する。

◆人間は形にとらわれているから、

波にだけ、風にだけかかわっているから、大海がわからないし、大気をしらない。

生の全面をつかんでいないから、生の本質がわからない、死の世界が見えない。

◆死は、死んでなくなるのではない。

肉体は、土に返り、水にもどり、いろいろな元素に還元されるけれども、

形のしばりから解けた生命は、もとあったところに帰っていく。

◆生まれることが喜びであったら、死ぬことがまた同じく喜びでなければならない。

朝起きることが喜びであるように、夜寝るのは嬉しい。

◆金銭の入るときが元気がよかったら、金銭が出て行く時も愉快で上機嫌でなくてはならない。

貯金がうれしくて、借金がうれしくない道理は無い。

◆生まれることが喜びならば、

死ぬこともまた喜びをもって、

これに向かわなければならない。

◆生死はもと一如、生命はこれ不滅、宇宙は正に永遠、死はないのである。

死こそ、本当の生である。

< 丸山敏雄>先生の言葉

  


 

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