最近のエントリー
- 犬と少女を巡る短編詩の映画化
- 思春期を迎える孫娘の心模様は如何に!
- 胸に迫る大人系の愛
- なきたいときには映画を見よう
- 北の女性史シリーズ(2)
- 北の女性史シリーズ(1)
- この瞬間を生きる
- 三十一文字シリーズ完了して
- ほっかいどうの短歌100首その99・100
- ほっかいどうの短歌100首その96・97・98
最近のコメント
トラックバック
2008年1月24日
母の病院へ見舞いに出かけ
<ポータルサイト>14号にでた父親を語るを,眺めつつおふくろ元気でなによりな心境です。横田昌樹さん(63)=遊びのスガイ常勤監査役、旧満州国扎蘭屯(ジャラントン)出身、札幌市在住―お父さんは、どんな人ですか。 満州国の参事官で、戦争終わってソ連に抑留され、タシケントで死んだと聞いている。俺は3歳のときにおふくろに連れられて満州から引き揚げてきたから、おやじそのものの記憶はないんだ。けれど、おふくろ、満州まで迎えに来てくれたおふくろの両親、おやじの兄さん、おやじが出た大同学院(満州国政府の官吏養成機関)の同窓生など、いろんな人が話して聞かせてくれたので、おやじの影のようなものは実感できる。おやじは豪快で面倒見がよく、周囲に気配りのできる人だったらしい。写真を見るとまぎれもなく、この顏なんだ。 ―お父さん似ですか。 92歳のおふくろも同じ顏している。夫婦は年がいくにつけ似てくるだろ。おふくろは教師をして俺を育て、再婚しないでずっときたわけだから、おやじよりも、おふくろの方が父親みたいな感覚だな。「お母さんを悲しませるようなことするんじゃないよ」。ばあさんの言葉が今もにらみを利かしてるんだよ。
このエントリーのトラックバックURL
http://yokota.mond.jp/mt-tb.cgi/1427