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2007年9月27日

「 銀 幕 遊 び の 流 れ 旅 」 (第46回)

横田は毎月札幌映画サークル>の原稿依頼を受けて今回で46回を迎えました。今月は<三大欲望と恋愛映画考>です。校正完了ではありませんがブログに立ち上げ読みながら修正しております。50号を目処に本として<中西出版>から刊行予定です。映画と私関連でお便りいただければ幸いです。
★ 食欲・睡眠欲・性欲が人間の「三大欲望」と言われます。若い頃、映画鑑賞そのものの中に三大欲望のネタに基づく物語を求め映画館を離れて、いましがた鑑賞してきたばかりの作品について会話を楽しみ、心地よく眠りにつくのが横田にとって至福の時でした。食事は味覚・視覚・触覚・嗅覚・聴覚の五感をフルに活用することによって幸福感が増すと云われます。映画を楽しむ姿勢もまさに食事への考えに通じる要因が基本だと最近思うようになりました。

★還暦を過ぎた齢を迎え、性欲は急に衰えました。その部分を補う意味で睡眠と栄養バランスに心している日々です。人間と動物のセックスの違いは、人間が生殖よりも快楽思考の延長線として性欲があり、動物は紛れもなく生殖の本能がなすままにセックスの本質を見出します。

★映画館の中で優れた恋愛映画は、すべからく男と女のむきだしの性欲と性欲の火花を散らすぶつかり合うポルノ作品とは異なり、愛し合う男女の結びつきに己が人生を投影させて幸せになる行為から感動を施してもらえればもらえるほど、映画館の暗闇における余韻を通じて恋愛転じて恋の芽生え、やがて結婚へのシナリオに思わずのめり込んだ青春時代に戻りたい気持ちを抱く昨今です。

★心と体がひとつになる。男と女の馴れ初めがあっていたわる気持ち、思いやりの気持ちうんぬんが恋愛映画における会話・対話の数々の中から人としての温もりをもたらせてくれる作品に接すると,文字通り快感を脳と体で察知することが出来ます。妻子ある人との不倫、べろんべろんに酔った勢いで迫る愛の姿。性のエネルギーは時として常識をはるかに超越したところで愛情の強さや深さを推し量るバロメーターになります。夢なくして生きていけても愛なくして人は生きていけないという大前提があればこそ恋愛映画の種は尽きることはありません。

★物語の進行上で男と女がお互いに疑念を持ったり、猜疑心の塊となってしまうと恋愛道における最悪の罠に落ちうるといっても決して過言ではありません。少子高齢化時代の今、映画業界そのものがシネコンスタイルになっていわゆるポルノ上映館が激減しました。札幌において専門館は2館のみです。

★AVという男優・女優の織り成すテクニック重視を競う映画を私が若い頃は大学生を中心にして足を運んでいた記憶があります。興奮を掻き立てるのが主目的だったのです。秘め事ではなく愛する人への強烈な刺激こそが愛の証と思わせていたように思われます。赤々と火のごとく燃え上がる男性、その情熱に呼応して水が沸騰するがごとく女性に喜びをもたらすならば・・・いつもとがらりと視点を変えて札幌映画サークルのエッセイに挑んでみました。

★気合を入れて映画に没頭しなければと、こころして
「舞妓Haaaan!!!」
「ミス・ポター」
「幸せのレシピ」
「ヴィーナス」という作品に接しながら男と女の愛に絡む映画考の入り口へ足を一歩踏み込んでみました。
 
<遊びのスガイ>横田昌樹


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