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2007年8月21日

パギやん・トークライブ

浪花の唄う巨人・<パギやん>
■ 西成少年愚連隊OB■ 高麗亭 超爆トークライブがエルプラザで開催され出かけて来ました。第1部「唄で綴る戦前・戦後~銃後から戦後へ・戦後から銃後へ・・・また行きますか?」第2部パギやんの歌うキネマ「砂の器」です★下記の
<砂の器>
百科事典概要をピアノ伴奏ひとつで見事に演じきりました。
◆六月二十四日早朝、国鉄蒲田操車場構内に扼殺死体が発見され被害者の年齢は五十~六十歳。身許が分らず、捜査は難航をきわめる。必死の聞き込をする警視庁の今西栄太郎刑事と、西蒲田署の吉村正刑事は、蒲田駅前のバーで被害者と酒を飲んでいた若い男が重要参考人としての確証を掴みバーのホステスたちの証言で、二人の間に強い東北なまりで交わされていた“カメダ"という言葉に注目。人の姓の連想から東北各県より六十四名の亀田姓が洗い出され、該当者見つからない。今西は「秋田県・亀田」という土地名を洗い、吉村とともに亀田に飛び手がかり発見できないまま、帰途、二人は列車の中で音楽家の和賀英良に出会う。和賀は公演旅行の帰りらしく、優れた才能を秘めたその風貌が印象的。八月四日、西蒲田署の捜査本部は解散、以後は警視庁の継続捜査に移行。・・・・・中央線塩山付近で夜行列車から一人の女が白い紙吹雪を窓外に散らした、高木理恵子が「紙吹雪の女」と題し旅の紀行文として紹介した新聞記事を迷宮入りで苛だっていた吉村の触角にふれた。窓外に散らしていたのは、紙では無くて布切れではなかったかとひらめいた吉村は、銀座のクラブに理恵子を訪ね、その事を尋ねるが、彼女は席をはずしたまま現われない。客として現れた和賀は音楽界で最も期待されている現代音楽家で、現在「宿命」という大交響楽の創作に取り組み、前大蔵大臣の令嬢田所佐知子との結婚がマスコミで噂される。被害者の息子が八月九日、警視庁に現われ被害者三木謙一の住所は、捜査陣の予測とはまるで方角違いの岡山県江見町で、被害者の知人にも付近の土地にもカメダは存在しないまま今西の執念が事態を変える。島根県の出雲地方に、東北弁との類似の「亀嵩」(カメダケ)なる地名を発見。なまった出雲弁では「カメダ」に聞こえる。三木謙一はかつて、そこで二十年間、巡査生活をしていた事実をつ掴む。勇躍、今西は亀嵩へ飛び三木と親友だった桐原老人の記憶から事件に絡む糸口を掴もうとする一方、吉村は山梨県塩山付近の線路添いを猟犬のように這い廻って、ついに“紙吹雪"を発見。紙切れではなく布切れで、あることが判明し、被害者と同じ血液反応を見つける。その頃、とある粗末なアパートでは理恵子と愛人の和賀がいて妊娠した彼女は、子供を生ませて欲しいと哀願するが、佐知子との結婚によって、上流社会へ一歩を踏み出す貴重な時期だった和賀は冷たく拒否する。今西は被害者が犯人と会う前の足跡を調査しているうちに、三木が伊勢の映画館へ二日続けて出かけている引っ掛かりを覚え、帰宅予定を変更して東京へ出かけ映画館を訪ねた今西は重大なヒントを得る事に。本庁に戻った今西に、亀嵩の桐原老人から三木の在職中の出来事を詳細に綴った報告書が届き、目を引いたのは、三木があわれな乞食の父子を世話し、親を病院に入れた後、引き取った子をわが子のように養育していた、という事実だった。その乞食、本浦千代吉の本籍地・石川県江沼郡大畑村へ向かい、和賀英良の本籍地・大阪市浪速区恵比寿町へ、今西の頭には、石川県の片田舎を追われ、流浪の旅の末、山陰亀嵩で三木巡査に育てられ、昭和十九年に失踪した本浦秀夫と、大阪の恵比寿町の和賀自転車店の小僧で、戦災死した店主夫婦の戸籍を、戦後の混乱期に創り直し、和賀英良を名乗り成人した、天才音楽家のプロフィルが、ダブル・イメージとして焼きつき理恵子が路上で流産し、手当てが遅れて死亡。和賀を尾行していた吉村は理恵子のアパートをつきとめ、彼女こそ“紙吹雪の女"であることを確認。事件のネガとポジは完全に重なり伊勢参拝を終えた三木謙一は、同地の映画館にあった写真で思いがけず発見した本浦秀夫=和賀英良に逢うべく上京。和賀にとって三木は、自分の生いたちと、父との関係を知っている忌わしい人物であり、ついに和賀英良に逮捕状が請求されたのは、彼の全人生を叩きつけた大交響曲「宿命」が、日本音楽界の注目の中に、巨大なホールを満員にしての発表の、丁度その日だった。

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